まくはりデッセ

Save the lost people
救い飯
CASE.2

先日、渋谷の定食屋「かいどう」での食事により生気を取り戻した川上。

一念発起し就職活動を再開。
やがて彼は建築資材会社で働き始める。

戻る事はないであろう幸せな家庭生活を懐かしみ、かつて生涯を共にと誓った妻との思い出の結婚指輪をはめたまま…



所属は営業部。
川上は生来人と対話することが苦手だった。
そんな川上に営業の仕事が合う筈はなかった。


しかし、無職の辛さは身に染みている。
仕事があるだけでありがたいのだ。やらなければならない。
今日も重い足を無理に蹴り出し外回りに出かける。

思えば、ひたすら物言わぬ干物と向かい合うこの16年が彼の人見知りな性格に拍車をかけていた。

そんな無口な自分が妻と知り合い、恋をして結婚出来たのも妻が大学の「干物研究部」の課題で千葉の海を訪れ、川上の店を訪ねたのがきっかけだ。

「この金目鯛の干物、どうやって干したらこんなみずみずしくなるんですか?」
妻からそう話しかけられなければ、奥手な川上がいわゆる東京のあか抜けた女子大生だった妻と知り合うことなどきっとなかっただろう。

自分にとっては干物が全て、干物が今の自分を作ってくれた…だが今は違う。
いつまでも過去を引きずっていてはいけないのだ。

前を向いて生きなければ。
少し前を思えば、今こうして仕事があって生きていることが本当にありがたい。

マハトマ・ガンジーは言った。

「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい。」

今日を精一杯生きなければ。


営業先へ向かう。
足取りは軽いとは言えないが、それでも着実に足を進める。

やがて訪問先の建設業者の前に着いた。


「今日はここか…」





インターホンを鳴らし担当者に呼びかける。
少し前なら躊躇した飛び込み営業にも慣れてきたものだ。




しかし振り絞った川上の勇気を打ち砕くように、インターホンの向こうから女性事務員の声が担当者不在を告げる。

ドアを開け、天を仰ぐ川上。



またダメか…
どうすんだよ…
不在とか言って、どうせいるんだろ…
「ちくしょう…」つぶやく後ろ姿が寂しい。

この後7社を周り、全て空振りに終わった。
時刻は午後6時、今日も何一つ成果の出ないまま1日が終わろうとしている。

1日歩き回った自分を何かで褒めてあげたくなり、自動販売機の前で立ち止まる。

外周りの日は仕事終わりに缶コーヒーを1本飲むのを自分へのご褒美と決めている。
長く深いため息を吐き、微糖の缶コーヒーを味わうと何かやり遂げた気がしてくるから不思議だ。



うまい。
缶コーヒー、うまい

しかし、救われるのは一瞬。

帰社の道すがら、財布にもう紙幣が無いことを思い出し不安が頭をもたげる。


ATMで残高確認をした川上を更なる不安が襲う。


まずい、非常にまずい。
どこかのCMで聞いたセリフだが、今月あと2000円で過ごさなければならない。

ちなみに今日はまだ8日だ。

やはり面接時に「試用期間の給料は通常の1/4でも構いません!」と言ったのがまずかった…

3ヶ月だと思っていた試用期間が、雇用契約書をよく見たら30ヶ月だったというのも誤算だった。


経済的な不安、
今日1日歩き回った肉体的な疲労、
そして、そんな不甲斐ない自分への苛立ち…
川上の後ろ姿は形容しがたい悲しみに満ちていた。



こうなると電車代も惜しいもの。
会社への帰路およそ3.5キロをひたすら歩く川上。


今どのあたりなんだろう…
GoogleMAP見ようかな…いや、パケットがもったいない…



…歩こう



やがて歩き疲れた川上の目に一軒の赤提灯が飛び込んできた。

焼き鳥か…

うまそうだな…
「いいとこどり」か…
俺の人生、いいとこなんてあんのかな…


優しく灯る赤提灯と藤色の暖簾に吸い込まれるようにメニューを覗き込む川上。

え!? おでんもやってんの!?


焼き鳥? おでん?
どっちなの?

…あ、両方なんだ。
いいとこどりってそういうことね。




ハツ、皮、レバー…
いいなぁ、焼き鳥…とビール…

でも会社戻らないとな…

でも焼き鳥か…
あ、セセリもいいな…


あれ?
なんか俺座っちゃってるけど…


あれ?
ビール出てきたぞ…


躊躇なくビールを喉に流しこむ川上…

今はまだ勤務時間内…
ましてや今日は何一つ仕事の成果を挙げていない…

そんな自分がビールを飲むことなんて…

















ビールうめーーーー


「やっぱ、これよね」
何一つ実績がなくても、仕事終わりのビールは美味しいというのは本当に不思議な話だ。


「なんか、店員さんがめっちゃイケメンだな…」


確かに不自然なほど垢抜けてイケメンな店員。
しかし焼き鳥を捌く手はかなり手慣れている…
十分に修行を積んだ焼き鳥屋さんの風格がある。




でも甘いマスク…


「お兄さん、イケメンでアイドルみたいですね!」

なんていうか、日本テレビの超人気番組の番組企画で関西在住の大学生2,518人の中から選ばれて京都を盛り上げる為に結成され、土方歳三の生き様を綴った歌で2009年10月にオリコン初登場3位という華々しいデビューを飾ったアイドルの元メンバーみたいですね!

…心の中ではそう思った川上であったが、近頃流行りの「忖度」を持って当たり障りのない言葉で話しかけた。


「え! そうなんですか!?」


驚くことにその焼き鳥屋さんは本当に元アイドルであった。
芸能の仕事は5年で辞めて、2年前から都内の焼き鳥店で修行を積み、今年独立してこのお店を出したという。
彼は店員さんではなく大将だ。この店の大将なのだ。


「マジですか…」

元アイドルの焼き鳥屋さんの話に夢中になる川上。
どんな仕事も楽ではない。
ここまでの焼き鳥の技術を身に付けるのはきっと大変だったのだろう。
その努力の日々を思い、備長炭の上で芳ばしく焼ける鳥串を眺めながら感慨に耽る川上。


「お待ちどお!」


串の盛り合わせが川上の前に差し出される。
ハツから手に取った川上はまずその香ばしい香りを楽しむ。




「いただきます!」


仕事中だということは完全に忘れ、焼き鳥を味わう川上。




うまい…


ビールもうまい…

今日も何一つ成果を出していないという自戒の念はもはや存在しない


すると元アイドルの大将が新たな料理にとりかかる。
「今日の日替わりメニュー出しますね!」


陳建一さながらに火を操るイケメン大将。




「どうぞ! 豚ステーキです!」


これはまたなんて美味しそうな…


備長炭で焼いた豚のステーキは、自家製のソースと絡んで見た目も香りも食欲をそそる。


ビールも進んじゃうよね…
「星三つ!」とか言ってみたり…





うまし…


元アイドルなのにこんな美味しい料理が出せるなんてすごい。
そして、自分の生き方をちゃんと自分で選んでるってすごい。

自分の生き方を自分で決める…


食欲を満たすと川上は不思議な気持ちになっていた。
それは今まで川上の心を覆っていた不安や後悔ではない。

自分の人生を、自分で選択していくという、ともすれば当たり前の力強さだ。


気がつくと川上は携帯電話を手に取り、
直属の上司である名古屋から赴任してきたばかりの峰課長にメールを打っていた。



退職のメールを送った川上を不思議な感情が包む。
後悔はない。
ただ、自分の決めた道を歩くことを自らの意思で選択したのだ。


大将を呼び止めて頭を下げる川上。


「大将の生き方に感動しました! 僕を弟子にしてください!」


この店で働きたいんです!


必死で頭を下げる川上。


今、彼は誰かに強制されて頭を下げているわけではない。
自らの意思で頭を下げているのだ。




長い沈黙の後、元アイドルの大将がゆっくりと口を開いた…


「わかりました」


「え?! マジで!?」


ありがとうございます!
明日から死ぬ気で働きます!




大将と硬い握手を交わす川上。

今彼は雲の切れ間に光明を見た気分だった。
自分で道を選んだのは人生で初めてだった。


思えば大好きな干物は物心ついた時から身の回りにあったもので、自ら進んで干物を選んだわけではなかった。
ただ、干物屋になることは敷かれていたレールだったのだ。

店を出た川上の表情に迷いはなかった。
数時間前まで彼を支配していた悲壮感は消えていた。


何年かぶりに見せる笑顔がそこにあった。





「よし! やってやるぞ! 俺の人生いいとこどりだ!」




「川上ぃ、ゲットだぜー」

夜も更けた中延の路上に川上のファンファーレが鳴り響く。

川上民生の人生に新たな命が吹き込まれた夜だった。

6月の湿った夜風に吹かれながら、川上は朝つぶやいたガンジーの言葉を反芻していた。

「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい。」

1日たりとも手を抜いて生きることは許されない。
今日という日、自分の人生は変わった。
明日もこの思いを胸に生きていこう。

駅に向かう川上を「いいとこどり」の赤提灯がそっと見送っていた。

明日からまた新しい生活が始まるのだ。

次回の救い飯CASE3で川上はどうなる?
焼き鳥屋の店員として修行に励む
また何かに感動して転職してしまう
美人のお客さんに一目惚れしてしまう
別れた妻が突然戻ってくる
Poll Maker
Facebook Twitter